とかく一般的な葬儀では、火葬場を予約したり、通夜や葬儀・告別式の日を決めたりと時間に追われがちです。「明日には通夜と葬儀・告別式を開かなくては!」とあせり、親戚への連絡、職場関係への報告など、外部とのやりとりでバタバタ。家族内でも、喪主をどうする、受付を誰にする、という人の配置に追われてしまいます。このように、混乱の中でなんとか準備を整えたとしても、当日も参列者への挨拶や葬儀の進行で忙殺され、息つく暇もないというのもよく聞く話です。このような葬儀では、故人を偲んだり、参列者と語り合うなど無理な話ではないでしょうか。
また、時間がないために、葬儀の形もありきたりなものになってしまいます。宗教・宗派だけを葬儀屋に告げて、あとは担当者の言うなりになってしまうからです。祭壇や供物に多少の選択肢はあれど、そこに遺族の愛情を注ぎ込めるような幅広さはありません。なんとなく白い菊で、なんとなく果物のかご盛りで、結局は誰の心にも残らない疑問と後悔だけの式になってしまうことに……。そうした反省ができればまだ良いほうで、特に違和感を抱くでもなく時間が経過していくケースも多いのではないでしょうか。
もちろん宗教・宗派を尊重して、伝統にのっとった葬儀を行うことは決して悪いことではありません。「家族葬」の大半が、宗教儀礼をベースにアレンジしたものですし、根底に宗教観があることは素晴らしいことだと思います。ただ、宗教儀礼をこなしているだけの葬儀は、あとに何も残らないのが現実ではないでしょうか? 残ったとしても、「あのお経は長くて苦痛だったなあ」といった、どちらかといえばマイナスな思い出が大半ではないかと思います。もしかしたら、お坊様からいい話が聞けるかもしれませんが、故人を印象づけるような葬儀ではないことは確かです。
このように、時間や宗教的な制約にしばられている現代の葬儀事情では、「故人を偲ぶ」という基本的なことが忘れられているのです。